堺雅人さんのコスプレものまね芸人ウェルダン穂積の「ポケットの中の闘争」

by堺雅人さんのコスプレものまね芸人ウェルダン穂積~ポケットの中と呼ばれてもいい、僕は自由のための闘争をする~(*‘∀‘)

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秋葉原カフェ・トリオンプ文化祭レポ「これが本当の文化祭」

秋葉原カフェ・トリオンプ文化祭レポ「これが本当の文化祭」

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毎年この時期に文化祭を開いているカフェ・トリオンプ
毎年ちょこっとだけ顔出して挨拶したり
 
飛び入りで漫才をやらせてもらったりしてきました。
 
 
ほとんど寝ないで顔を出して
そこからぶっ通しで昼から夜8時まで
 
出し物をみたり
ご飯を注文したりして過ごしました。
 
東日本大震災の教訓から学ぶ防災クイズの講義があり
これもすごく興味深かった
 
そして「維新隊ユネスコクラブ」の広報としての活動もしよう、と
飛び入りコーナー(いきなり飛び入りでなにかやる、という時間がある)
 
でいきなりマイク一本で告知と「ものまねで告知」というのをやらせていただきました。
(「アムロとシャアが胸キュン!GOMI拾いの告知をやってみた」(;'∀'))
 
防災クイズのレポの方は「胸キュン!GOMI拾い」の広報ブログに詳しく書きます。
 
 
で・・・・
 
いきなり今度は自分で作詞作曲した人が歌を披露し解説したり(いつもカフェでお会いする人なので
初めてきちんと作品に触れることができた)
 
「エレキギターの仕組み」をいきなり解説する講義が始まったりする。
 
いきなりすぎて脈略がなく、
それがまた「あらびきパフォーマー」(「あらびき団」より)のようで面白い
 
でフェンダー社とギブソン社の開発した技術を
いきなり一つのギターにぶっこんだ革新を起こしたのが
 
・・・ダレだ?
誰か忘れたけど、
40年も前に発明されたサウンドが今もってまったく古くない。
 
そんなすごいことをしたことが凄い!ということだ。
 
僕はこれを聞いて、
パフォーマー、クリエーター、が画期的発明をして
表現の仕方を残す、とういことがありえること・・・・・
他にどんな可能性があるだろう?と思った。
 
こうして文字で表現するのもTwitterだったりブログだったりほかのなにか、だったり
画期的な表現があるのではないだろうか?・・・
 
 
 
・・・・そんなことを考えていると
今度はアイルランドの妖精の文化の話をする人が登場し
それをモチーフにした自作の曲をギターで演奏しはじめる・・・・
 
すごい、すごすぎる。この人たちはなんなんだ。
 
 
「僕になにができるだろう?」
 
なんでもいい・・・楽器じゃなくても、腹芸でも、顔芸でも、
なにかができる、ってことはすごいな、と思った。
 
 
「口笛ウクレレおじさん」が今度は現れ、
 
口笛でアニソンを吹く・・・これが超斬新でハマる曲はとにかくハマる。
 
しかも口笛教室というものに10年通い続けてきたというからすごい。
 
さらに口笛の世界大会が今度開催される(*‘∀‘)
もう意味が分からないよ・・・・
 
「文化」とはなんなのだろう・・・
 
人間の多様さに驚く
 
社会、は社会として人間の一面的な部分しか必要としない、
それがいかに一人一人を平たくしてしまうことか。
いかに窮屈な人間観になってしまうことか。
 
 
毎年「ベルサイユのばら」の講義をするコスプレパフォーマーの方も健在(*´ω`)
 
 
途中にいたピアノ演奏の女性がいきなり
コンサートホールレベルのショパンを弾き始めて度肝を抜かれた・・・・・
 
いきなりすさまじいのが出てくるとガチで驚愕する。
 
グランドピアノでやるレベルのものなのだろう。
もはやキーボードに繋いだアンプが音割れしはじめ、
 
ガンダムの性能では追いつかなくなるアムロのよう・・・・だれかこの中にモスク・ハン博士はおりませんか!( ゚Д゚)
 
いったい何者なのだ・・・(30年もピアノを習ってきたそうな)
 
人間の洗練された技、というものはすごいものだ。
 
途中店長の6歳になる息子さんが入ってきて少し騒ぎ始めた・・・
超演奏中のなか邪魔しはじめるかみんながヒヤヒヤしていた・・・・
これで乱入し始めたらもはやコンサートホールでさえみられないすさまじいものが始まるところだった(;'∀')
 
 
 
 
最後はコーラスを入れた歌のパフォーマンス。
 
ラストの歌で
映画「風立ちぬ」の主題歌「ひこうき雲」を聞いたときには普通に涙出そうになって大変でした・・・
 
人間ある程度生きてくると、
顔見知りでこの世を去った人がいるものだ。
 
そうした時、歌のように夭折ではなかったとしても
この人の生きた世界の意味、を考えると、
 
こんな世界でいいのだろうか、と思ってしまう。
世界といっても広い意味ではなく、その人がいた、この居場所、が
 
心優しきもの、にならなくていいのだろうか、という意味。
 
 
僕にも何かができるといい。