きちんとした告知をしないまま上梓してしまいましたが、
小説「赤いマフラーは愚者の徴」
よろしくお願いいたします。
こちらは私小説になっておりまして
僕が過激だった(のかな)時代を描いております。
僕は自分に才能があるなんて思ってはいないので、
ただ、自分が体験した情熱ならば伝えられる、そして
伝えたいと思った大切なことを書きました。
実はこの小説。
大きな括りとしてはパート「2」にあたり
全三部作の真ん中に当たります。
映画マトリックス的にいうと
いきなり2で空を飛んでいる状態になります。
それが「絶望」という状態で、
「1」はそこに至るだけの静の物語。
「2」はそこから「動」に至る物語。
となるわけです。
本当は小説の新人賞を引っ提げて世に出してあげたいと思うのですが、
どうにも待ちきれないのと、この物語から自分を解放させたいのと、
いろんな気持ちがないまぜになっております。
kindleだけでなく
iPhoneなどのスマートフォンでも今は簡単に読めるので、
ぜひクリックしてみてください。(自動的に閲覧アプリがインストールできます)
無料で途中まで立ち読みすることもできると思います。
感想なども寄せていただけると大変うれしいです。
三部作の話の続きをすると
もう「3」も出来上がっていて「3」はまだ推敲をしておりませんので、手直しが必要な段階。
「1」はとても古くなっていて当時の書き方の未熟さが否めないので、もう何度推敲したかわかりませんが
もう少し手直ししております。
「2」はこの形で出版したまま、「1」や「3」はもう少し華を持たせた形で世に出せればいいのですが、
物語としては圧倒的に「2」が動きがあって面白みがあると思います。
僕個人的には「1」が一番好きなのですが。
「1」の推敲をして読み直していると、あまりに自分が不憫で情けなくて、情緒に不安定をきたします(どんな話だよ)
やはり人というものは自ら背負った宿業のようなものを抱えながら生きているのだ、と思うと同時に
後に続くものたちに僕が後悔したものだけは回避して欲しいと思うようになった。
今、やっていること、やろうとしていることはすべてそれに繋がっているのだと思う。
人を一人、殺してやろうと思うくらいのエネルギーで書かなければ文学というものは書けない、と
どなたか作家が仰っていましたが、
僕も本気でこの三部作の「1」を書いたら死のうと思って書いていたくらいでありました。
ある意味でそれほどまでに思いつめて針が振り切れていたのかもしれない。
自分の内部を本当の意味でさらけ出した作品なのです。
ということで
「赤いマフラーは愚者の徴」
をどうぞよろしくお願いいたします。